立秋すぎて野分き立つ、あとに残るは破れコンビニ傘
2016/09/11
立秋が過ぎて秋の気配は風とともにやってくる。
野分は 「のわき」 とも 「のわけ」 とも読み、 「台風」 を意味することばだ。『源氏物語』五十四帖のうちの第二十八帖の巻名が 「野分」 。古典だけではなく近代文学でも 「野分」 という言葉は使われている。夏目漱石にも 『野分』というタイトルの小説があるし、同じ夏目の 『吾輩は猫である』の中にも
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢(こずえ)を、野分(のわき)と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った……」
という台詞がある。
さらに、井上靖にも 『野を分ける風』という題名の短編があることを思い出す。
なぜ 「台風」 のことを 「野分(のわけ)」 と言うのだろうか?丈高い草の生えた野原は強風によって波打ち、風が草をなぎ倒す。強風の後に、風の通り道が筋(すじ)のように残り、その左右になぎ倒された草がしなだれ分かれたさまは 「野を分けている」 ように見える。このように野原あるいは草むらなどを強風が吹き抜けるとき、その通り道が草を分けるので 「台風」 を「野分(のわけ)」 と言うのである。
また、 「野分き立つ(のわきだつ)」 とは 「野分らしい風が吹く」 つまり 「台風のような風が吹く」 という意味になる。
昔は台風の過ぎた朝に外を眺め、強風の痕跡をなぎ倒された草に見たのだが、現代では台風の過ぎ去りし朝にみる最も一般的な痕跡といえば 「道端のそこ、ここに散乱した破れコンビニ傘の骨」 だ。
時代が変わると台風の風景も変わる。
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